スタンディングみや(でした。)

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柿の思い出

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この時期に青く膨らんでくる柿を見上げて思い出すのは死んだ父のことである。

父は柿に限らず果物が好きであった。

田舎で子供の頃の甘味は果物しかなかったとも言っていた。

私が高校に上がる直前に移り住んだ宝飯郡小坂井町の自宅には父が定年後柿の木を植えた。

私は高校を卒業してから二年間魚市場で働きそのあと実家を離れた。

年に一度か二度しか帰らない私がこの柿の木に実がなる姿を目にすることは無かった。

息子が生まれ父が立派な柿を送ってくれるようになった。

甘い次郎柿であった。

実を結ぶ木を庭に植えるのは家相に良くないと誰かから聞いたような気がしたが、そんなことに構う父ではなかった。

そんなことより孫が喜ぶ顔が楽しみだったのだろう。

翌年は息子を連れて柿の収穫に行った。

小さな子どもに高い木の柿の実の収穫は出来ない、高齢の父にも危険が増してきていた。

必然的に私の仕事になるが、背の高い三脚を使っての柿の実もぎは以外と難しかった。

監督する父に切り方が下手だと怒鳴られた。

来年実を結ばないと怒鳴られた。

私は構うことなく収穫作業を続けた。

手の届かない柿はやって来る鳥たちに残してやった。

たくさんもいで大阪に持って帰った。

 

父の心配はよそに翌年もたわわに柿の実はなった。

地元の同級生が柿の不作を訴える年も父の育てた柿の木には重そうなほどに実が下がった。

甘い柿に同級生は驚いていた。

父が他界しても二度の秋を迎えた柿の木であったが不思議なことにそれまでのようにたくさんの実を結ばなくなってしまった。

柿の木にも主人がいなくなったのがわかったのだろうか。

そして誰も住めなくなった家は他人の手に渡り、父の想いで育てられた柿の木は無くなった。

この時期が来て柿の木を目にすると父と息子と三人で見上げた柿の木を思い出す。

大きな木にたくさんの朱色の実をぶら下げた柿の木を思い出す。