『半分、青い。』
まだ私が半分どころか全く青い高校生の頃、サイクリングが大ブームを巻き起こした事があります。
私には都合の良いブームでした。
家にいない理由になったのです。
その頃家にいるのが嫌でいつも外をほっつき歩いていました。
このサイクリングというのはいかにも健全な、健康にも良さげな高校生向きのスポーツの一つくらいに母は思っていたようです。
その頃父は長期の出張で日本にはいませんでした。
兄は静岡の病院に入院中、母は愛知から行ったり来たり、あまり家にはいませんでした。
私が留守番兼、犬番兼、猫の番でした。
ちょうどこんな陽気の連休に日本海が見たくなり、母が家にいるのを確認して朝早くいつものように「ちょっと行ってくる」と言って日本海に向かいました。
母はいつものように夕方には帰ると思ったのでしょう。
行ってらっしゃい、と送り出してもらい。
地図を片手にまずは西に向かいました。
国道1号線をひたすら西に向かいました。
ほとんど止まらないでずっとペダルを漕ぎ続けました。
片道200kmくらい走ったのでしょうか。
いつも眠くなるとJR の駅や屋根のあるバス停で横になりました。
田舎にはそんな駅舎やバス停がよくあったものです。
その時はえらく寒かったのを覚えています。
福井あたりで日本海に向かい合いましたが特に記憶にありません。
とにかく外にいたかったのです。
次の日の夜遅くに帰りました。
スマホも携帯も無い時代です。
公衆電話はあったのですが電話も入れませんでした。
たぶん心配したのでしょうが、何も無かったように「お帰り」と迎えてくれました。
いつもそんな子どもでしたから母は私が東京に出た時には二度と帰ってこないと思ったそうです。
でも私は兄のことも気になり首輪につながれた犬のように東京より遠くには出て行けませんでした。
季節が巡るたび、肌で感じる空気や陽の光が私にいろんなことを思い出させます。
若い誰もが私のようだったとは思いませんが、自分の思うように生きることの出来ない兄の分も生きなければならないと思い、好き勝手に今まで生きてきたように思います。
兄貴には迷惑だと言われるかと思っていたのですが最近そんな話をすると喜んでくれました。
今は、私の過去を知る兄貴が私の一番の理解者かも知れません。
そして私の事をまだまだ青いやつだと思っているかも知れません。