いせ辰の手拭い
日本手拭いを持つようになって久しい。
風呂敷を持ち歩くようになってからである。
汗かきの私にはタオルやハンカチは子どもの頃からの必需品であった。
私の父は日曜日になるといつも白地にどこかの会社の名前の入った日本手拭いを腰にぶら下げ庭仕事や自分の作業小屋の片付けをしていた。
父の姿を見てあまり格好がよいとは思えなかった。
それなのに日本手拭いを使い出したのには理由があった。
ゼネコンでの営業マン時代ハンカチを二枚いつもスーツのポケットに入れていた。
汗かきの私には二枚必要だった。
いつの頃からかそれはタオルのハンカチに変わった。
そんな私を見ていたからか父が一枚の日本手拭いをくれた。その時の『よく洗って使えよ』との意味は使い出すまでわからなかった。
しばらく引き出しの奥にしまっていたそれを最初に使い出したのには合気道の稽古用であった。
薄くて邪魔にならず汗を吸っても木綿地の手拭いはすぐに乾いた。
そして洗う回数を重ねるほど生地は柔らかくなり汗も吸うのだった。
それからである。普段も持ち歩くようになったのは。
スーツでもおかしくない柄の手拭いが増えていった。
写真の『いせ辰』はもう十年くらい前に買ったものである。
使っていると端がだんだんほつれてくるから時々ハサミを入れる。だからだいぶ短くなっている。
使い易いのばかり使うのでこれが一番短くなってしまった。
父が亡くなり遺品を整理しているとたくさんの日本手拭いが出てきた。
カラフルな日本画のプリントされた手拭いがあった。
その中の何本かはフランスからやって来た友人と共に渡航させた。
この日本手拭いも日本の風土だから生まれ育ってきた道具の一つであろう。
使う道具にはこだわりを持つ。
ただ使えればよいというものもなかにはあるが、使いやすく気に入った物を持ち歩きたい。
駅のトイレで用を済ませ、いせ辰の手拭いをポケットから取り出してそんな事を考えていた。