我が家での春の到来
立春の声とともにやって来た寒波。
寒波と言えど氷が張るわけではなければ、霜柱が立つわけでもない。
思えば、今の小学生は霜柱を知っているのだろうか。
小学生の頃、集団登校の冬の楽しみは誰よりも早く自分の足形でその下に隠れた霜柱を踏み抜くことだった。
サクッと靴底が霜柱を踏み込み、私の靴跡が残っていく。
そして寒さの厳しい日には帰りにその足跡の形で地面は凍てついていた。
都市開発は地面をアスファルトで覆い、大地からから呼吸を奪った。
そして子ども達は楽しみを失ない、季節の変わり目を感じることに鈍感になっていった。
我が家では知らないうちに食器棚のカップが入れ替わっていた。
ああ、春到来かな、と思っていると家内曰くは
「気分で入れ替えただけ」とのことであった。
ウエッジウッドに替わったそうだが私は陶器のセンスは持ち合わせず、どんなカップでもこの時期に出てくれば春と思ってしまうのだろう。
家内には叱られるが、私的にはこれで我が家の春到来とさせてもらおう。