休日を休む
久しぶりに休んでいる気がする。
私のようにコロナのおかげで介護から解放された方は少なくないだろう。
実家に帰らなくとも合気道の稽古か仕事で休みは終わっていた。
稽古も仕事も無く一日中家にいるのは本当に久しぶりだった。
子供に手のかかるお父さんお母さん方はまだしばらく大変だろうが、過ぎ去れば懐かしい思い出となると思う。
子供たちと共に過ごす時間の貴重さは子供の成長と共にしみじみと感じていくものと思う。
いずれは誰にでものしかかって来る介護を誰もが漠然とは意識するものの、実際やって来なければその具体は分からない。
皆その時になって苦労して個々のやり方を作っていく。
表現が難しいが、今回のコロナでの自粛で介護への考え方が変わった人が多いと思う。
ただ単に、離れた場所で生活する被介護者に会いたくとも会えないから身体的に楽になっただけではなく、考え方も変わった事と思う。
いろんなやり方、離れての介護の仕方も考えたのではないだろうか。
分からぬうちはやり過ぎてしまう。
これが問題なのである。
それがために大切なものを見落とすこともあろう。
被介護者が正常な考えをするならばどう考えるか、何を一番にするかを考えてみればいい。
コロナに皆が慣れていき、インフルエンザとの付き合いのようになっていく頃にはいろんなものに対する価値観は変わっているだろう。
介護に対する価値観も変わっていくとよいと思う。
介護が一番では無い、無理な介護は美徳では無い。
心身共に健全な介護者である事が一番である。
それを被介護者は望むと思う。
休日を休む、こんな当たり前の事が人生の中で出来ない時期もあると思う。
今回の『自粛』には三密回避以外に大きな意味があるような気がする。