九十の夢
昨日母ハルヱは90歳の誕生日を迎えた。
認知症になった母の今の時間は長いのだろか短いのだろうか。
グループホームに入って7年が経つ。
日々どのような生活をしているのか直接には知らない。
医者から最後通告を受けた3年前くらいから寝ている母しか見ていない。
体調の良い、好天の日には今でも外で新鮮な空気の中を車椅子で散歩をさせてもらっているようである。
施設の方には頭が下がるばかりである。
寝てばかりの母はどんな夢を見ているのであろう。
仮に3年間ずっと眠り続けて自身の人生を振り返るにしてもまだまだ時間は足らない。
走馬燈のようにと表現するが、人生を振り返えろうとするならば、かなり長時間くるくる回らねばならない。
それに夢は人生の振り返りばかりではないであろうから、案外夢の楽しさは尽きないのかも知れない。
その中には元気な兄貴も登場しているかも知れない。
ここまで来たら楽しくない夢など見て欲しくはない。
楽しくない夢を見ているのであれば眠り続けることはできないであろう。
私の勝手な想像で母の事は安心している。
90歳まで俺は生きれるのだろうか、とも思う。
あと30年、長いようだがあっという間に到達する年齢かも知れない。
死ぬために誰もが生きている。
死ぬまでは精一杯生きたいと最近思う。
まだまだやりたいこともある。
ボケないように頭をなるべく使い、身体の健康のために稽古も続けたい。
そして健全な精神を持って生きるに当たっては不必要な事もやらなければならないと思っている。
コロナが落ち着き、皆がコロナとの生活に慣れてきたら解禁される事が多いだろう。
皆の価値観が変わろうとも、この機に乗じて必要悪と世の中から抹殺されるような事は出て来て欲しくない。
余計との思われる事があるから世の中のバランスが取れてきたのだと思う。
善悪のみで判断を始めると残った善の中に悪を見つけなくてはならなくなるのと同じだと思う。
九十の夢、家内から時々怒られながらも時々(毎日ではない)飲み屋に行き、楽しく酒を飲める元気な年寄りになっていたい。