『何もしない』を考える
これまであった有事の際には、私達は出来る事をするように言われてきた。
しかし、今回のコロナ禍においては『何もするな』である。
いつもと違う対応に誰もが戸惑うのは当たり前である。
それに真摯に対応して営業活動を自粛してきた中小の会社や個人事業主における被害は持続給付金などで追いつくものではないであろう。
蓄えのある大企業にしてもこの先は今までのスタンスとは違う会社運営になるであろう。
経済活動を維持する限界であったのだろう。
それはそれで理解出来る。
そうするとまずは生活の維持となる。
その次に私達の合気道は再会する。
インフルエンザとは違い命の危険のあるコロナ、慎重に行動して行きたい。
会員の皆さんの健康が一番、命が一番である。
それを失えば道場の存続は無くなる。
学生時代に合気道先代道主の植芝吉祥丸先生に第二次世界大戦直後の合気道本部道場の話を聞いた事がある。
復興のため、焼け出された一般の方を道場に仮の宿として使ってもらったり、奉仕をしたり、稽古など全く出来なかったと聞いた。
世の中が落ち着いた後、合気道普及のために各大学に合気道部を作ってもらい手弁当で指導に行ったと聞いた。
そして合気道普及の基礎が出来た、とお聞きした。
その時には聞き流していた話を今思い出す。
今『何もしない』を考える。
通常、人間は何もしないことには罪悪感を感じる。
だから今『何もしない』を考える。