愛知の桜
まだチラホラです。
兄が田原市に移り住み八回目の桜です。
最近やっと桜として認識して眺める事が出来るだけの気持ちのゆとりが持てるようになりました。
この桜もずっと私を見てくれていたのでしょう。
物を言うこと無くずっと立ち続け、多くの人の人生を見てきたことでしょう。
何も言わずに見守るって、なかなか出来ない事です。
凡人の私ならば何か一言、余計な事を言ってしまいます。
自身で気付く、これが一番です。
この桜の木の下で悲しみ、苦しみ、嘆いた人の多くも自分自身で気付き、そして自身の人生を歩き出したに違いありません。
カウンセラーのように桜の木を思います。
ミツバチがやって来ています。
いずれ彼女たちの力で次世代のカウンセラーが生まれ、育っていくことでしょう。
田原の本当の春はもうすぐです。