令和への準備
昭和の途中で生まれ、平成、令和と生き(たぶん)ずいぶん歳をとったような気がする。
令和天皇となろうとしている皇太子殿下が生まれた昭和34年に兄はこの世に生を受け、よく年私は生まれた。
昭和35年、第二次世界大戦が終わり15年、まだ今ほどモノも情報も溢れていなかった。
私が子どもの頃はまだ探し出したり、創る喜びがもっと身近にあった。
平成元年に息子が生まれた。
ゆとり教育というのが中学くらいからあったように記憶する。
その分息子は塾に縛られ、苦しみ、難解な教師にも疑問を持ち自主的に学校を休み続けた。
私は死語となったモーレツサラリーマンであった。
毎晩浴びるほどの酒を飲み、毎朝二日酔いで通勤列車に乗り込んだ。
疑問を持ち続けての平成だった。
もうすぐ『令和』へと変わる。
皆が幸せになってくれればいい。
もちろん私も含めて。
俳句を始めて語呂や語調に敏感になった最近、『明治生まれが昭和に負けて大正エビで憂さ晴らし』という都都逸が時々頭に浮かんでいた。
小学生の頃愛読していた長谷川町子の『いじわるばあさん』か『サザエさん』で見たと思う。
昭和生まれの嫁にやりこめられ、姑は大正エビの載った天丼を出前してこの都都逸をうたい大正エビを食べて憂さを晴らすのである。
大正、明治、昭和初期を生きてきた先人は本当に大変だったと思う。
戦争もなく平和ボケした昭和後半からこの平成、令和を長谷川町子はどう描いたのであろう。
時代を皮肉り、進むべき家庭や社会の姿を照らし出してくれたのではないかと思う。
私の『令和』は特に変わりなく普通に明後日のその日を迎えるであろう。
気持ちだけと思い、持ち歩く手帳を新しくした。
ある頃からスケジュール用の手帳とメモ、考え事用の手帳はB7にしている。
モノをなるべく持ち歩きたくないからである。
二冊をポケットに入れて万年筆か鉛筆を一緒に持って歩く。
これで私の『令和』への準備は出来上がりである。