母への便り
打ち合わせ中電話が入りあとで留守番電話を聞くと、七十年も前の母の知人であった。
ここで一度登場させた話であるが看護師に復帰した二十代の母が山奥のダムの診療所に勤め、東京からの山の田舎暮らしに慣れない診療所長の医師一家を支えた。
http://standingmiya.hatenablog.com/entry/2017/05/10/163737
それをいまだに恩義に感じて母を気遣ってくれる。
心から有り難いと思っている。
半世紀を超えた昔を心に残すことが私には出来ているのであろうか。
認知症になった今尚、母は私に多くを問いかけてくれる。
私がこの先どう生きていけば良いのかを身をもって示してくれているようにも思える。
この暑い夏が峠となるであろう母に忘れ物はないか、私も問いかけていきたい。