兼題 『秋薔薇』
今朝の朝焼けです。
秋は空気が澄んで空が高く高くなるのですが、もう少しかかりそうですね。
蒸し暑い一日でした。
停電の続く千葉県の皆さん、大変ですね。
早く通電する事を心から願っています。
さて、富山県にいる大学の先輩に勧められて始めた俳句ですが、いつまでたっても私はさっぱりです。
『寝たきり親父』こと先輩は順調にあちらこちらに投句して名前を上げつつあります。
12月の富山県滑川市での句会ではいつもの投句サイトの元気なおばちゃん先生に会う約束までしています。
先輩にはますます元気な『寝たきり親父』で全国の『寝たきり皆さん』に元気を分けて上げてもらいたいです。
さて、明日の句の発表の前に今回のお便りコーナーの私の文章です。
兼題【秋薔薇】
秋薔薇なんて言葉があるのを知らなかった。
サラリーマン時代、大阪中之島公園にあるバラ園に会社に戻る途中よく立ち寄った。
花が好きだからではない。
目にすれば心は動かされるが好きだから行ったのではない。
気持ちと心の整理が必要だったのである。
ゼネコンでの営業は毎日会社が喜ぶ話ばかりを持って帰れるわけではなかった。
営業先で心を打ち砕かれ、会社への帰路は辛く、足が重たいこともあった。
大川沿いを歩いたあの頃、中之島公園に吹く風は冷たくなりかかっていたかもしれない。
びっくりするほどたくさん種類があるバラに驚き、美しい一つ一つの花に見入ってしばし時を忘れた。
これから寂しい冬に向かう時期だから尚更あの時のバラは私の心に残ったのだろうか。
勢いのよかった草木の緑も褐色に変わり始め、ほかに咲く花は目につかない。
日曜日ほど人のいないバラ園、ちらほら歩く人はいるが休日のはしゃぐ子どもたちの声は聞こえない。
まだ若く勢いもあった頃の私である。 草木は自然体だ。
そして秋薔薇も。
秋薔薇のなかで私も自然体になれた。
秋薔薇たちは私の行く手を遮ることは無く、背中を押してくれることも無かった。
それでいい、ただいてくれるだけでよかった。
もう私の心は十分に癒されたのだから。