兼題『ボートレース』
俳句の季語にはなかなかイメージが掴みにくいものがある。
今回の兼題『ボートレース』は競艇ではなく競漕、レガッタなのである。
こんな自分の日常に縁のない兼題にも向かい合わなくてはならない。
『脳内吟行』である。
不思議な事だが、コロナ騒ぎから電車で本を読む人を見かけるようになった。
たまたまかも知れないが、私はこんな時にはなるべく関係ない事を考えたいと思う。
関係ない事を考えて現実を第三者の目で見る事も必要なことだと思う。
『脳内吟行』に近いかも知れない。
スマホがそばにあれば関連のニュースが絶えず飛び込んでくる。
いつまでも同じ現実の中にいなければならない。
今回の事で各人の価値観が変わるのではないだろうか。
当たり前が当たり前でなくなってしまう今まで経験したことのない経験である。
『雨降って地固まる』のようにすべてが良い方向に向かい、皆が変われるチャンスがあるような気がする。
悪いことばかりではないと思う。
悪いことばかりにしてはならない。
必ず終息する事態である。
先を見据えて考えて生きるちょうど良い訓練の場かも知れない。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
●レガッタなどという高尚なものにまったく縁のない人生を送ってきた。
「ボートレース」と言えばそのまま「競艇」である。
ギャンブルが好きなわけではない。
しかし成り行きで競艇場まで行ったことがある。
ゼネコン時代からの付合いのある行政OBの方がされていた仕事の手伝いで、ある年末に東京まで行った。
特殊なバクテリアを使ってレストランの厨房にある排水溝の油を溶かす臭いのきつい汚れる仕事であった。
京都から東京まで夜を徹して車を走らせての作業であった。
仕事の終わった早い午後にはくたくたになっていた。
二人で交代で東名・名神を一気に京都まで帰る予定だったが「泊まって帰るか」のOBの一声に従った。
従った先は平和島競艇場だった。
横のサウナで夜を明かすと言う。
併設の映画館では『ラストサムライ』を上映中であった。日本人と武士道をアメリカ人が描いたこの映画は私のその年末一番観たい映画だった。
上映開始までに時間があり「ひと稼ぎするぞ」のOBの声のあとを競艇場までついて行った。年末の冷たい空気の中、ボートのあげるしぶきは妙に白く見えた。
疲れ切った二人の田舎サムライに勝負に勝てる要素はまったく無かった。
『ラストサムライ』は期限なしの延期となった。
サウナ内の焼き鳥屋でビールを飲み串に食らいつき仮眠室に入る前に映画上映室に入った。
『阿弥陀堂だより』をやっていた。
医師である南木佳士の小説が好きであった。
今晩はこれで手を打とうと心に決めながらも、リクライニングチェアに身をゆだねるとじわじわ来る全身の疲れを感じながら眠りに落ちようとしていた。寺尾聰の低い声は私の眠さを誘った。
そのほんのしばらく後に室内を揺るがすような大音響、離れた場所で先に寝入ったOBのいびきであった。
いたたまれなくなった私は一人仮眠室に向かった。
OBもしばらくしたらやって来た。
ほかの客にたしなめられたようであった。
雑魚寝で大晦日の朝をサウナの仮眠室で迎え、朝早く京都に向かった。
大掃除をすることもなく家内の買い出しに付き合うこともなく自宅に着くと大晦日は終わっていた。
同じ言葉でも人によって当然記憶は違い、持つイメージは違う。
ボートレースは私には家族への罪悪感でしかない。
こんなことを口にする男は多いことと思う。
ギャンブラーではない私はそれとは少し違うと言い訳したいところであるが、考えれば仕事にかこつけて遊んでいるとしか第三者の目には映らないだろう。
仕方ない、義理と人情で世の中は動く、男は言い訳無しで信じた道を進むしかない。
東名高速を京都に向いて走り、駿河湾沿いから振り返って見た富士山がいつもよりきれいだったのをよく憶えている。 /宮島ひでき