便りが無いのは良い便り
『便りが無いのは良い便り』とは連絡手段が手紙くらいしかなかった時代の言葉なんだろう。
今の時代、SNSで発信された意思表示に少しでも早い返信が評価されるような風潮さえある。
母のいる施設から時々電話をもらう。
危篤状態を言い渡された二年まえから、その度にドキドキし、スマホに手をやる。
家族会の知らせであったりする事がほとんどで私の出席の確認のためだったりする。
要はそれほど重要でない事なのだが、時間短縮のために電話が来る。
こんな事は葉書かメールにして欲しい。
ただその都度母の安否は確認出来て安心出来る。
母、兄、単身の伯母、台湾の母に一方的に葉書や手紙を送りつけている。
なんて事はない日々の日常を綴った葉書や手紙は母、兄にはそれぞれ600通以上送っている。
認知症状の無かった頃の母には「あんたは何にも連絡よこさん子だねぇ」と顔を合わせると言われていた。
兄の事にかかりっきりでいつも余裕の無いの母だった。
余計な心配はかけたくないから何も言わずにいた。
しかし現在は自ら発信することのない母や兄達に取って私の書く葉書や手紙は何よりの楽しみだと周りから聞く。
『便りが無いのは良い便り』ということわざはケースバイケースで活きてくるのだろう。
今回の非常事態ではメールや電話で絶えず連絡を取り合うのが良いのか疑問である。
家が失くなり、住む場所がないわけでは無い、ほとんどの人は普段と変わらないなかで生活は出来る。
暇で連絡を取り合うことは、余計な話までしてしまう。
適度な状況報告に留める事が世の中の平穏につながるような気がする。
やはり電車で本を読む人が目につくようになった。
このコロナと因果関係があるのかずっと電車の中で考えている。