『慣れる』ということ
桜のガクと若葉が目立ち目で春の深まりを感じるが、頬を撫でる今日の風はとても冷たい。
合気道の稽古から離れてひと月半になろうとしている。
私の社会人になってからの合気道の稽古はずいぶん歯抜けである。
社会人が余暇をつかっての稽古である、ひと月や半年くらい稽古が出来なない期間があっても当たり前だと思っている。
男ならばまずは仕事、子育て、後から介護が追いかけて来る場合もある。
女性には妊娠、出産という大きな仕事が加わる。
そういう諸々を抱えながらも『忘れたくない』気持ちが私に合気道を続けさせてきた。
社会人に毎日は難しいが週に何度か稽古しないと気持ちが悪いという方がいるが、『慣れ』の問題である。
毎朝ジョギングをされる方、毎晩飲まなければおられない方と同じで習慣である。
だから逆に時々稽古しなくても平気になることに慣れたらいいと思う。
頭の中で稽古をしたらいいと思う。
どうしても何かしなければおられないと言うならば毎日腕があがらなくなるまで木刀の素振りをしたらいい。
無駄の無い本当の剣の振りを身につけれるいいチャンスかも知れない。
そして、なるべく違う事をやったり、考えたりする事はすべてこれからの肥やしになっていくだろう。
畳の上での稽古が合気道のすべてでは無い、特にこんな時期であるからたまに合気道を思い出しながら違うことをやっていても植芝盛平先生も怒りはしないだろう。
時間はある、ゆっくり何が一番なのかを考えたらいいと思う。
合気道はいつまでも待っていてくれるだろうから。