『歌う庭』
ロシアのカップだそうである。
世界にはいろんなカップがある。
どれも個性的である。
一目して、手に取ってみれば相性は分かる。
だから美しければいいという訳ではないようである。
美術品として見るか、実用品として考えるかもあるであろう。
個人での所有するしないは別にして、素晴らしいカップはコーヒーの味を引き立ててくれるのは間違いないようである。
そして味は味覚だけではないなく、五感すべてで感じること、その場の雰囲気、一人なのか、相手が誰なのかでも変わるだろう。
飲み方、飲む雰囲気、飲む相手で同じ酒でも酔い方が変わるのと同じだろう。
料理が好きでよく厨房に立つ。
美味しいものは人を幸せにするとずっと思っている。
『鶏と玉子』のようだが、幸せの中で食べれば何を食べても美味いということにもなる。
理想は良き環境の中で美味しいものを食べるという事であろうか。
考えてみれば、『食』に限らずすべてに通じることであろう。
『ステイアットホーム』をまだ自主的に続けなければならない現在、心身ともに健康に生きていくためにも限られた空間で出来る事を考えて、幸せを生み出す術をさらに進化させていく期間となるのではないのだうか。
この『歌う庭』は明るく楽しい賑やかな庭なのであろう。
ただ、庭が歌うはずがなく、カップに描かれている鳥が歌っているのであった。