スタンディングみや(でした。)

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ヘレンドのカップ

家内が毎回違うカップでコーヒーを出してくれる。

このカップはヘレンドというハンガリーの窯元のカップだそうである。

カップごとに物語がある。

二百年近くも歴史があれば物語があってもおかしくはない。

私はその物語を聞くのが好きである。

私はヨーロッパの食文化に詳しくはないが、午後のお茶の時間が社交の場として大切であったのだろう。

最高のカップに最上級の紅茶を淹れて人をもてなしたのだろう。

王侯貴族の目に止まったカップがそこのお抱えとなり、世紀を越えて窯元は生き続けてきているのだ。

それだけでも物語である。

 

家内はカップに限らずきれいなものが好きだと言う。

カップは時々出して見ているだけで幸せだと言う。

 

合気道もきれいなものの一つだそうである。

無理なく無駄な力無しでの合気道の技は実際美しい。

私の合気道はまだまだそれにはほどとおい。

 

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生まれてこの方遭遇したことの無かった事態に、皆戸惑いまだ慣れてはいないのだろうが、いずれは皆慣れて新たな自分の生活スタイルが出来上がっていくのであろう。

 

私はこの新型コロナのウィルスが蔓延するだいぶ前から家にいる時は部屋にこもり作業をすることが多かった。

もともと一人は苦手ではない、一ヶ月くらい監禁されても『暮らしの手帖』でもあればたぶん平気だと思う。

 

オンラインでの打ち合わせも時々行っていた。

パソコンとネット環境が整えばどこでも仕事は出来ると思っていた。

 

そして今、この状態でもさほど影響の無い分野の仕事が案外多いことが分かって、世に平穏が戻った頃には常識が変わっているのだろう。

 

ストレスを溜めて通勤する必要が無ければ健康な人が増えて、余った時間は家族のためにも自分のためにも使えるだろう。

 

ただ、『無駄』はある程度必要だと思う。

効率のみを求めるよりもある程度の『無駄』を残した方が効率は上がると思う。

 

オンライン飲み会というのが巷で行われていると知ったが疑問である。

決して効率を求めて行う飲み会ではないであろうとは思うが、そこまで誰かと飲みたい気持ちがよくわからない。

 

私は混み合った飲み屋のカウンターの隅に一人座ってメザシでもかじりながら熱燗をチビチビやりたい。

 

今であれば部屋で独り仕事を終えた深夜にハイボールプルトップを引き開けてホッとひと息つく時間がいい。

 

早く寝てカラダを休めるべきなのであろうが、私の頭と心はそう効率良く出来てはいないようである。