餃子を口に考える、
母ハルヱは90歳になった。
末期のガンだと言われて医者の指示に従わず自然死を迎えさせてもらう事を希望して3年が経過した。
手術をしていたらもうこの世にはいなかっただろう。
母の三人姉妹の山形にいた長姉が一年ほど前にたくさんの家族に見守られて他界した。
真ん中の姉は東京で一人暮らす。
伯母の娘、私の従姉は一年半前に伯母を残し先に逝くという親不孝をした。
この伯母と従姉には言葉で言い表せないほど世話になり、私の母、兄の気遣いをしてもらった。
伯母さんからは「世の中には順番があるのよ。だから、もう少し頑張りなさい。」と両親、兄の看護・介護が重なった時に言われた。
人生の先輩の言う事に重みを感じた。
しかし、そうではない現実があることを私は知っていた。
優しい伯母を見ていて思うのは歳を取った時の独りでのしんどさだった。
しかし、それは本人が感じ、考えることである。
すぐそばに家族が必ずいなければならない事はないと思う。
独居が不幸ではないだろう。
独りで過ごせる何かがあればいいと思う。
テレビで再放送の時代劇を観て涙したり、毎日来る新聞に待ち遠しい連載小説があったり、昨日と違う夕陽を見て綺麗だと思ったりとそんな何かでいいと思っている。
歳とともにいろんな事がわかり過ぎて人との付き合いがしんどい事もあろう。
所詮、この世に出て来た瞬間に人は独りなのである。
伯母は独りにしんどさを覚える人でないと思う。
伯母には感じる力があると思う。
読書家の伯母にはいつまでも本を読んで感じて欲しい。
伯母の退屈しない手紙をセッセと書き続けようと餃子を口に運びながら考えた。