人と会わない順位付け
昨日の日曜日、久しぶりの天王寺であった。
仕事を終え、稽古への道すがらいつもと変わらぬ通天閣はそこにあった。
横目で見ながら小走りで道場へ向かった。
以前のような人数が集まらないのは承知の上での稽古再開であった。
新型コロナウイルスへの決定的な対応策の無いまま停止状態に近かった経済活動は限界を迎え、なし崩しでその動きを再開させたといった感を受けない事もない。
皆さん不安であろう。
しかし、経済活動と同様で私たち人間には食べて寝るだけ以外の何がその生活の中に必要である。
その中には読書もあればテレビゲームなどもある。
人と接することなくしてその必要を満たせるものもたくさんある。
そんな中で合気道の稽古を選んで道場まで足を運んでくれる皆さんにしっかり私の合気道を伝えなければならないと思った。
東京ではまた感染が広がっているようである。
東京にある我が母校武蔵大学では課外活動での部室を含む学内施設すべての使用が禁止されており、再開も未定であり、今後の見通しが全く立たないそうである。
そんな中で学生達は新入生を受け入れ、各運動部は新人の勧誘を行い、今につなげているようである。
インターネットの普及が可能にした技であるが今まで誰も経験していない苦労を学生達は強いられているようである。
合気道の稽古をしなければ生きていけないなんて事はない。
以前から思っていることである。
『三密』を守るためにする事の順位付けをするならばやらなくともいい事の筆頭格だろう。
しかし、各々が合気道に何かを感じ稽古を続けたいと思うのであれば私も動かない訳にはいかない。
会員の皆さんの命を預かっているくらいのつもりで細々と怯える気持ちを忘れる事なくこれからやって行こうと心にして、通天閣を見ながら帰った。