危機管理の力
今までに無い日常に浸っていると変な事を思い出す。
母ハルヱは風邪を引かない人であった。
父は冬になるとマスクをしていることが多かったらように記憶する。
母は看護師という職業に長い間就いていた。
昭和5年、1930生まれの母は看護師として長野県上諏訪にある日本赤十字病院で傷痍軍人の看護をしながら終戦を迎えた。
逆算すると15歳で終戦を迎えている。
13歳で志願して試験を受けて通常より若き歳で奉職したそうである。
東南アジアで戦死した兄に会いたいという女の子らしい理由で志願している。
風邪とそれが何が関係するかである。
そんな混乱の時期にまともな看護教育など受けていなかったに違いない。
上諏訪での話はほとんどしなかった母から少しだけ聞いた話しは、掃除ばかりしていた事、結核病棟で患者たちの枕元の痰壷を片付けるのが仕事だったと、その痰壷は血痰がなみなみと表面張力でゆらゆらするまま捨て場まで行ったと聞いた。
そして終戦間際には空襲もあり、その時には患者さんを誘導して防空壕まで逃げたと聞いた。
母は百姓で鍛えた身体で手足の無い傷痍軍人さんを背負って避難したとも聞いた。
そんな母は認知症にはなってしまったが、怪我をすることも無く感染症に罹ることも無く終戦時を乗り切り生き抜いた。
そして大病一つすること無く、母は風邪さえ引かずに障害を持つ兄の面倒をみながら私も育て、看護師を続けてきた。
母には何か得体の知れない危機管理能力が備わっていたように思える。
身体が丈夫だった、だけでは済まされないような何かがあったように思える。
とても綺麗好きであった。
特にトイレ、台所、食卓周りは綺麗にしていた。
そして兄と私にうるさいほどよく寝ろ、よく食べろと言った。
健康体でいるための基本だと思う。
感染力が強いコロナのようだが、ここまできたら自身の『体力』と『耐力』を出来る限り増強しようと思っている。
危険な場所には近寄らず、よく食べ、よく寝て、でき得る限りの保身を心掛けるつもりである。
合気道という武道をほんの少し齧り、世の中に存在する『危険な臭い』や『嫌な予感』を肌で感じることを鍛えてきたと思っている。
武道には勝ち負けばかりでなくそんな側面も持ち合わせていると思っている。
いつも混み合う時間の東海道線に乗り、私でなくても異常さを感じることと思う。
危機管理の力を高めるチャンスであるかも知れない。