山形を喰らう
デラウェアは終わり、粒の大きなブドウ達の登場である。
母の実家から送ってもらったシャインマスカットとピオーネである。
弾けんばかりの粒は口に運ぶと私に山形を思い出させる。
子どもの頃母と行った南陽市赤湯の思い出である。
この時期に行くと国道沿いに田が広がりその先の背の低い山々にブドウ棚がパッチワークのように貼り付いている。
種類と育て親の違うブドウ棚はそれぞれ微妙に色の違う緑色でパッチワークを形成している。
見慣れている地元の人たちには当たり前の光景であろう。
しかし、子どもの頃の私には毎回しばらく立ち尽くして眺める光景であった。
そして、その下にこのブドウ達はぶら下がっているのである。
赤湯の夏は暑かった。
もちろんその暑さの中、燦々と降り注ぐ陽の光を浴びてブドウ達は育つのである。
その場で食べるブドウは温かい。
まるで太陽を食べているように思ったものである。
そんなことを考えながら遠く離れた八尾でシャインマスカットを口にする。
食で思い出す様々なこと、これは脳に整理されている記憶ではなく心のどこかに刻み付けられたもののように思う。
食の大切さを山形の味を喰らいながら考えた。