スタンディングみや(でした。)

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五十九年目の事実

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近しくしていても案外知らない事って多いものである。

中でも両親の事ってのは知らない事が多いかも知れない。

からしたらあまりに当たり前すぎる事で言わなかっただけなのかも知れない。

 

今回母の葬儀は新型コロナと母の郷里山形県南陽市赤湯のブドウの収穫最盛期に合わさり、家族葬で執り行わせてもらった。

 

世話になりっぱなしの従兄から親類の香典が郵送されて来た。

その中に『◯◯伸一』さんと言う初対面の方の香典が入っていた。

事前に従兄からLINEで説明があった。なんと母はこの伸一さんの名前をもらって兄伸一の命名をしたということであった。

 

そして電話番号を聞いていたので早速お礼の電話をした。

赤湯の伸一さんは昭和22年生まれ、昭和5年の母とは17才も離れている。

昭和20年終戦後、数年間母が赤湯で農作業の手伝いをしていた際には伸一さんは幼子で、三軒隣の伸一さんは母にずいぶん面倒をみてもらったと言っていた。 

 

年若くして日赤病院に行った母を努力家だと誉めてくれた。

とても優しかったとも。

 

母はこの伸一さんがとても可愛いかったのだろう。

それで兄を赤湯で出産する際に伸一さんの名前をもらったようである。

 

母ハルヱが死んでから初めて知った事実であった。

73歳の伸一さんはしっかり電話口で応対してくれた。

 

伸一さんもブドウ農家、不順な天候でご苦労されているとも聞いた。

でも大丈夫だよ、と聞き、そのうち遊びに来なさいと言ってもらった。

 

私にはとても嬉しい出来事であった。

母の知らない事なんてまだまだあるに違いない。

90年の人生だから当たり前だと思う。

 

私たちは従兄がLINEで連絡を聞いた時には年齢や詳細を聞いてなかったから、ひょっとして母ハルヱの初恋の人なんじゃないかと勝手に想像していた。

そんな誰にでもある若かりし頃が母にあっても当然だろうから。

 

事実は違った。

でもどちらにしても私にとっては知らない母の過去を知ることができて良かった。

とても爽やかな時間が流れた午後だった。