スタンディングみや(でした。)

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今宵は十五夜

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机に向かっていてふと思い出した。

ゼネコンにいた頃、こんな季節だった。兵庫県の岡山よりにある小さな設計事務所に通った。

独りでやってるわりにはたくさんの仕事をしている設計者だった。

京都市内の当時流行の老人保健施設の設計をしていた。

通常は融資銀行や力を持つ関係者の協力で発注者にたどり着いたりするのだが、この時は水面下の情報を銀行からもらい、白紙の状態だから銀行の名前は出さずに営業するように言われていた。

 

行けばすぐに話ぶりでやっている事は分かった。

しかし、慎重なその設計士はその先の話になると上手にはぐらかす。

しつこく通い次の手立てを考えていたところだった。

 

「手伝わせてる決まったゼネコンがいるからあきらめなさい。」と言いながら違う新しい計画があるからその発注者のところへ行きなさいと言われた。

 

宗教法人の本部の新築だと言う。

別法人で医薬品の販売も行っており、誰もが知るその世界では高名な会社だった。

 

それまで数多くの飛び込み営業を自ら、もしくは上司の命令でやってきた。

いつもはわりと平気だったのだが、この時ばかりは違った。

大阪のまあまあ人通りの多いその医薬品販売会社の本社は営業も兼ねており、なのに出入口は一ヶ所のみだった。

入りにくく、前を何度も行ったり来たりして意を決して飛び込むと受付の女性が有無をも言わさない雰囲気で「ま、まずは顔のささない場所へ、」とカーテンのかかった応接ブースに引き込まれた。

 

私より歳上の口から先にこの世に出てきたようなその女性の説明に私は口を挟むことは出来なかった。

一通りの講釈を聞いておもむろに名刺を出して建設担当の責任者に合わせて欲しい旨を伝え、初めて私の訪問の主旨が分かったようで手のひらを返すような態度で奥に行ってしまった。

結局この営業はこのしばらく後に会社を辞めてしまったので途中で終わってしまった。

でも誰もが知るこの会社の仕事をやりたくてしばらく会社には黙っていた。

それが分かってしまったのは、その建設担当の方から会社に電話が来たからだ。

取り次いでくれた事務の女性が、小声で「宮島さん、◯◯◯◯◯堂さんから電話よ。」その向かいで聞いていた先輩が「お前、◯か!」とデカい声で部屋中に聞こえ渡った。

日本人に多い『◯主』であるが、全く何ともないのにそう思われるのも嫌で「実は、、」と話してしまった。

今なら平気であるが、あの頃は若かった。

 

そしてすべては経験である。

百人営業マンがいれば百のやり方がある。

目の前にある物を売る営業と違う建設業の営業では色んなことを教えてもらった。

 

暑さから逃れたこの涼しい空気は私に忘れていた多くのことを思い出させる。

そして自分が歳をとったことも。

秋の夜は長いほうがよい。

今宵は十五夜、長い夜となるであろう。