たかが作業服、されど作業服
ユニホームが好きである。
いや、作業服が好きなのである。
皆が揃って着るユニホームは着たくはない。
働く男の作業服がいい。
案外どんな男が着ても様になるのが作業服である。
社会人一年生、ゼネコンでは入社と同時に作業服が渡された。
しかし、ゼネコンの職員が実際のところ作業服を着て汗を流すことは無いに等しい。
現場での直接作業は禁止されているからである。
請負契約を結んだ協力業者が作業を行い、ゼネコン職員はその管理監督に義務がある。
それこそ管理部門に配属されて内勤しか知らなければ定年まで作業服の袖に手を通すことのないまま過ごすこともあるだろう。
片付けをしていて懐かしい写真が出てきた。
ピンボケのこの写真、よく見ると85年10月となっている。
もちろん西暦である。
私は入社一年目、京都営業所で事務の見習いをしていた。
35年も前の事務所にはクーラーは無かった。
電話は首振りでの共用だった。
何かの書類を机の上に置いている、パーソナルコンピュータなどまだ出現する前の事である。
何も仕事をしていなかった時期である。
セピア色が匂ってきそうな写真である。
ある意味幸せな時代であった。
朝から晩まで作業服だった。
いろんな意味で機能的な服である。
写真では夏の作業服の上に冬の上着を着ている。
自前はパンツとシャツ、靴下、スニーカーだけの一番金のかからない格好をしている。
このまま近所をうろつき、夜は飲みに行き、そのままタクシーで祇園まで行った。
翌年には事務課長から嫌われ、単身倉庫の片付けに行かされて一週間汗を流し、私と私の作業服は本領を発揮した。
そして現場事務に出された。
ゼネコンでの利益を出す現場を知りたくて実際の作業も手伝わせてもらった。
営業に移り、スーツにユニホームは変わった。
どんなに暑くとも自前のワイシャツ、ネクタイ、スーツは必須だった。
クールビズなど誰も想像すらしない夢の世界であった。
得意先まで汗を拭きながら行き、ネクタイを締め直し無理矢理上着を着て応接室に入るが汗は止まるわけはない。
吹き出る汗にクーラーを強くしてくれるお客様は少なくなかった。
建設会社の営業が会社で定めた作業服でどうして営業してはいけないのか不思議だった。
高機能で低価格の作業服が街中で着られるようになってきている。
この冬は厳しい寒さが予想されると長期予報で聞いた。
寒くなる前に作業服屋でおしゃれな防寒着を見つけて、新型コロナの落ち着いた街中をウロウロしようかと思っている。