稽古の帰りに考えたこと
ニューコロナの活性は人の行き来の活性を奪う。
ここまでインターネットが普及してなかったほんの三十年前、時間はゆるりと流れていた。
営業は対面営業、電話で細かな話しをしていると上司に叱られ、すぐに得意先まで飛んで行ったものである。
もともと情報の伝達は飛脚、人力であった。
明治維新で電話、郵便、鉄道と産業革命によって情報の伝達のスピードと運べる量は劇的に増えていく。
それでもこのネット社会の出現に匹敵はしないだろう。
便利なこの恩恵の中を生きているのではあるが、私には三十年ほど前がちょうどよかった。
ハンコで取り交わす契約書が当たり前だったその頃。
今とは発想のまったく違うある意味それなりにいい時代だったように思う。
企画書は今のようにネット検索での切り貼りなどもちろん無く、ネタは図書館に行ったり、プロに教えてもらったりして作る正真正銘のオリジナルであった。
手書きの書類もまだ通用した。
得意先に一度出した書類を作り直させてもらうことなどもあった。
さすがに契約書は手書きとはいかなかったが、当時勤めていたゼネコンの大阪支店にはタイピストの女性が1人いて、そこでのタイプ打ちの順番取りは私たち下っ端の競争であった。
勘違いしてそれなりに気位の高い女性だったが、ワープロの出現でその職を追われその後どうされたのだろう。
新しいモノが出現すれば消えていくモノもあるのは仕方の無いことなのであろうか。
ニューコロナは在宅勤務を可能にし、在宅飲み会まで世に広めた。
インターネットは使い方でまだまだ世の中は変わっていくのであろうが、うっかりすると心をどこかに忘れてしまいそうである。
1足す1が2ばかりではないことを教えられた三十年前、熟考のなかにその答えを導きだした。
今は考えずとも探せばそれなりの答えがパソコンやスマホが教えてくれる。
すべて1足す1は2である。
今、何が正解なのかはまだ熟考中であるが、今までの私の考え方にこのニューコロナが新たなモノの考え方を教えてくれているような気がする。
これが今日の稽古の帰りに考えたことである。