稽古に関して思うこと
ここで何度か同じような事を書いているかも知れない。
新型コロナウイルスが三たび勢力を増し、私たちの生活を制限している。
我らが合気道阿部野道場も上部組織の御達しでいつ休会せねばならないか分からない。
慣れていかなければ仕方ないこのニューコロナではあるが、考えなければならないのは『生活あっての合気道』ということである。
ワクチンが普及したわけでもなく、まだまだ見通せない要素もある中で仲間にニューコロナで不安の中稽古してもらいたくはなく、万が一の際に私たち主催側も責任の取りようもない。
ギリギリまで続けたいと思っているが、無理は出来ないし、稽古に来る皆さんに無理はしてもらいたくない。
まとまった稽古の休みの間に考えて欲しいと思う。
自分のやっている事が何であって、なんで合気道をやっているのかと。
私は何度も稽古の中断を余儀なくされてきた。
そして何度も考えた。
残った答えは好きだから、楽しいと思えるからやっている、それだけだった。
何でも同じである。
好きでなければ続かない。
楽しくなければ続かない。
市橋先生も『とにかく楽しくやってくれ』と言っていた。
合気道ばかりではないと思うが、ずっと続けていた事をしばらく封印してやらないでいる期間は自分の考えと技を熟成させると思う。
渦中にいると目の前ばかり見なければならない。
その日暮らしのような状態になってしまう。
休みの間、開き直って自分のやっている事をよく思い起こし、何がやりたく、何が出来るかを考えたらいい。
何かが見つかると思う。
今のコロナ禍の日常と似ていると思う。
制限された生活、仕事のやり方の中に新たな発見があったはずである。
人口は減り、生産労働人口が減るのに高齢者が増える。
私たちが経験してきた右肩上がりの経済などあり得ない。
そうしたら、考え方を変え、価値観を変えてポジティブに生きていくしかないだろう。
そんな中から新しいものは生まれるのだろう。
合気道は無くなることは無い。
再び以前のように稽古のできる日が来るであろう。
そのためのメンタルの熟成期間として今を通過すべきだと思う。