スタンディングみや(でした。)

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雨のクリスマスイブ

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急な寒さの後、久しぶりの雨。

よいお湿りとなって喉の調子が良い。

 

家内と午後のコーヒータイムである。

急にゼネコンでの営業時代を思い出していた。

四半期に一度営業所別での戦略会議があった。

ひな壇には営業所長、担当者がずらりと並ばさせられる。

そして支店長、副支店長、各部門長からの詰問責めとなる。

営業所員は皆、戦々恐々としていた。

 

営業の進捗度合いは嘘をつこうともその道のプロには筒抜けてしまう。

今とは時代の差もあるのだろうが、怒鳴りつける場面もあり30歳の私はいろいろ妄想しながら黙って見ていた。

 

数多くの事例やいろんな営業マンを見たことはその後の私の営業に役立った。

 

この時の司会進行を建築あがりの私より二回り近く歳上の副部長が専属でやっていた。

誰もやりたくない面倒くさい役であった。

営業新米の私はその副部長の書記として毎回横に付けられた。

 

そして、ある回である。

いつものように会議はその副部長が口火を切ってはじまった。

すると次の言葉が「はい、宮島君進めて。」であった。

いきなり、であった。

 

その恐ろしい会議の進行を急に仰せつかったのであった。

それこそ冷や汗をかきながら乗り切ったのを覚えている。

それがちょうどこの12月だったのである。

京阪電車の高架下に借りた会議室は電車が通るたびに振動し、声は途切れた。

 

長く生きていればそれに似た経験を誰もがするのかも知れないが、それからいつも『自分ならどうする、どう言う』が習慣付いた。

私の教育として急に大役を振るような副部長ではなかった。

その後も何も無いような顔でいた。

だから私はあえてその人に感謝することにした。

 

一度経験してしまえば、二度目からはさほどしんどさは感じないものである。

最初の一歩の踏み切り方は難しい。

だからその副部長に感謝する。

 

寒かった冬、壊れかけた高架下のエアコン。

音ばかり元気よく、寒かったり暑すぎたりした。

肌が覚えている記憶である。

 

過ぎた事すべてに感謝できる年齢になったことを最近感じている。