スタンディングみや(でした。)

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コーヒーのある日常

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毎日当たり前のようにコーヒーを口にする。

いつも冷蔵庫にはペットボトルのアイスコーヒーが入っており、インスタントコーヒーも飲めば、頼めば家内が豆を挽きコーヒーを入れてくれる。

 

コーヒーの味を覚えたのは高校生くらいだっただろう。

母と二人で喫茶店に入ることがあった。

時々兄は一人で静岡の病院に入院することがあった。

そんな時だったんだろう。

職業婦人の忙しい母とコーヒーを飲んだ。

昼メシにスパゲティナポリタン(焼けた鉄板にのって出てくるヤツである。)を私一人ご母の前で食べていた記憶がある。

 

母は職場の若い人達を連れて喫茶店に行くことがあったようだ。

気前よく皆にご馳走していたに違いない。

茶店に行き慣れた母は時々私を喫茶店に呼びだして、あまり口を開かない私とコミュニケーションを取ろうとしていたのだろう。

 

会話があっても無くてもいい、コーヒーが媒体となってテーブルを挟んで一体感が生まれる。

豊橋の喫茶店はこの冬場効き過ぎと思えるほど暖房が暖かかった。

コートもジャンパーも私たちから脱がせた。

一緒に生活する母に取り立てて話しする事は無く、家に絶対無い成人向けの週刊誌に黙って目を通したりした。

 

高校を卒業して魚市場で働き出し小金をポケットに入れて歩くようになって喫茶店を探し出した。

豊橋にたくさんの喫茶店があるのは全国的にも割と有名である。

 

駅前の精文館書店で本を買い、ジャズが流れるような喫茶店に一人入った。

もちろんこの頃はタバコを吸っていた。

どの喫茶店でも喫煙は当たり前だった。

冬でも夏でも一年中『ホット』であった。

 

茶店に入ってしゃべるのはこの一言と、『ごちそうさまでした』だけ。

本を読み、タバコを吸い、コーヒーを飲んだ。

まだ背伸びしたい子どもの時代である。

 

その頃からコーヒーがある生活が当たり前になった。

意識なく茶碗を持って箸でご飯を食べるように、何の意識もなく毎日コーヒーを口にする。

 

取り立ててここで文章にする必要が無いほど私の生活にはコーヒーが入り込み、当たり前のコーヒーのある日常が繰り返されている。