緑の海
昨日の大阪の朝は蒸し暑かった。
新幹線から豊橋駅に降りると気温は高いものの空気は乾燥して爽やかな暑さだった。
風も吹いており、田は緑の海になり子どもの頃そんな風景を目にして心奪われ見とれていたのを思い出した。
月に二度母と兄に会いに帰郷する。
その度に忘れていた何かを思い出す。
記憶の引き出しを引くスイッチは五感から作動する。
そしてそれは突然やって来る。
決して自ら引けるものではないようだ。
誰の周りにその五感のいくつかがうまく作動しない方がいる。
障害を持った方々だ。
兄の障害や母の認知症もそれに近いのかも知れない。
母、兄を含めたそんな方々を可愛そうだと思った時期があった。
でもそれは間違いだと今は思っている。
欠けているというのは私たち第三者からの客観であって、当の本人は初めからその状態ならば欠けているなんて意識は無いだろう。
それが当たり前なのである。
母のアルツハイマー症は後天なものではあるが、記憶の引き出しが閉ざされてしまっているので同じ状態だと思う。
それがその人の個性だ、くらいに思って普通に付き合っていけばいいんだと思う。
付き合う私たちは気楽に一緒にいたらいいんだと思う。
そのうちお互いに理解が生まれると信じている。
知る必要の無い世の中の芥をまったく被ってない兄は純粋である。
母もそうなっていった。
付き合う私の心も純化していっているのかも知れない。
そういう人たちとの付き合いに感謝する。
障害を持った方々が世にいる一つの意味のような気がする。
帰りに大阪駅で途中下車し、用事で出て来た家内と以前よく行っていた喫茶店で美味しいアメリカンローストのコーヒーをいただきながらそんな事を考えた。