スタンディングみや(でした。)

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新宿で飲んだコーヒー

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私の学生時代のことである。

四十年も前、平成を飛び越えて昭和のことである。

大学二年になってから、合気道本部道場に半強制的に通わさせられた。

 

当時の学生は稽古料は払わなくともよかった。

当時の道主植芝吉祥丸先生は合気道の普及はまず学生達からと、その頃からさらに二十年ほど遡った時期の大学での合気道部設立に尽力されたと聞いている。

手弁当で稽古や合宿にまで参加してくれたそうである。

稽古料を取られなかったのはそんな名残りもあったのかも知れない。

 

その代わりなのかは分からないが、毎年の全国合気道演武大会の畳引きや当日の警備などのお手伝いに引っ張り出されていた。

毎日稽古で当時の指導員の先生方の稽古相手になった。

仕方なく行く稽古が恐ろしかった。

同期生とともに毎回稽古後のお互いの無事を確かめ合って大学へ向かったものである。

 

幹部交代してから、市橋紀彦先生との稽古後のコーヒータイムが私たちの日常に組み込まれた。

報告があり、相談があり合気道の事ばかりでなく私たちの人生相談に乗ってもらうこともあった。

そして先生によく叱られた。

今考えれば社会に出て行く私たちに実の親のように真剣になって頂いていたのだろうと思う。

 

社会人となり、恩返しをする事も無く先生は先立たれた。

先生は歳を取られ、毎年の入れ替わる学生たちとの年齢は離れていった。

当たり前の事ではあるが、だんだん親子ほどの年齢差になっていき稽古後のコーヒーの味も変わっていったのではないだろうか。

 

雰囲気と相手で味の変わるコーヒーである。

亡くなった先生と同じ年齢になり、先生とまたあの新宿抜弁天にあった『小島屋』や『タバサ』でコーヒーを飲んでみたい。

グダグダと取り留めのない話しをしてそのまま歌舞伎町の『三汁一菜』へ流れ込み時間を忘れて朝まで痛飲したいものである。