京都で過ごした時間 その1
ゼネコン時代、京都で長い時間を過ごした。
大きく分けて三期になる。
一期、入社したばかり、生まれて初めての土地京都、初めて足をおろしたのは京阪線藤森の駅であった。
テレビでの知識しかなかった私には八坂神社あたりや鴨川の流れる景色が京都だった。
降り立った伏見区深草西浦町はあまりに普通の町で、私を大阪支店まで引き取りに来てくれた事務主任の土本さんにここが京都かと聞くと「そうだ」と言葉少なに答えてくれた。
京都営業所は田舎の町の自社ビルだった。
どんな生活も平気であったが、四階建ての三、四階が寮でその下が事務所だった。
今の世とは違い、社員に金をかける場所が違った。
寮はただ寝泊まりだけの場所、管理人さんなどいるわけなく、食堂さえも無かった。
初日は定時で上がらせてもらい、新入生の役目と思い、廊下や階段にカーペットかと思えるほど溜まっていたホコリとゴミを上階から階下に吐き出し、便所には水をザバザバかけて見間違えるくらいきれいにした。
そしてその前にはカビの生えた風呂もゴシゴシ洗ってあとで一番風呂を決め込んで掃除に汗を流した。
やっと人の(少なくとも私の)生活が出来る空間となったので着替えを持って四階の風呂に入った。
そうしたら、なんと鍵を掛けて歌を歌って入っている奴がいる。
男ばかりの寮、4、5人は入れる風呂、今日は一番風呂に入る権利があると思って上がって来たら、鍵である。
ノックし声をかけても返事も無い、腹が立ちドアを思い切り蹴飛ばしながら「こらー、開けろ」と叫ぶと今度は静かになってしまった。
なんとも生意気な新入社員だった。
仕方なく、屋上で木刀の素振りをしていたら初めてお会いする寮長の鶴田さんがいらっしゃって「ダメだぞ」と言いながら「でも、君は悪くないな」と優しく声をかけてくれた。
京都の初日は大掃除だった。
そして翌日からは事務課長のお供で毎晩祇園までタクシーで乗り付けた。
私は自分の金を使わないこの課長が嫌いだった。
課長とはいろいろあった、その結果、京都府下北から南までウロウロと現場事務をするようになったのだが、長くなるのでそこら辺からの続きはまた明日にします。