スタンディングみや(でした。)

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兼題『楊梅』やまもも

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さぁ、今回もいつもの俳句投稿サイトです。

俳句は今回ワンランク上の『人』でした。

いつか『天』で、松山市の電光掲示板に載せてみたいものです。

表題の通りの今回の兼題、近所のヤマモモの実はすっかり落ちてしまいました。

ジャムは作れませんでした。

小鳥たちの腹には幾らかは入ったのでしょうか。

以下はお便りコーナーに出た文章です。

 

 

兼題『楊梅』

楊梅ってのは目立たぬ樹だ。

街路樹ともなっていて、コレと示せば案外みんな知っている樹であるのだが。

それくらい目立たぬ樹であるからこの時期結ぶその実を見ても、

可愛らしいさに気持ちを向ける人間は少ないのだろう。

山や畑で桑の実やらアケビなどを野ザルのように食い回ったが楊梅は食べたことが無い。

街路樹のそれは汚く思える。

山の入口で見たヤマモモにはコバエがたかっていた。

ハエがたかるくらいだ。 とても美味いものだろうとも思ったが、虫は苦手である。

しかし、私へのイメージを悪くしたのは半分は人間のせいだ。

多分ヤマモモの持つポテンシャルの高さから街路樹という称号を人間から与えられ、ある時は我々の身を車から守り、またある時にはその車から排出される二酸化炭素の削減にも寄与している。

なのにその姿は排ガスで煤けてしまい野で陽を受け深緑をまとった元気にそそり立つ本来のヤマモモではない。

数多くの縁のある日本で楊梅、こんな地味な目立たぬ樹を季語として地味に俳句にしてきた風流人を尊敬する。

四季があり、山海が近くこの時期でも季語としての材は数限りなくあるのに、誰もが見落としてしまう自然の移ろいの中の機微を拾いとる。

こんなところに俳句の醍醐味はあるのだろうか。

こんな文化の育まれた日本に生まれたことを幸せに思う。