ワードプロセッサ
なんて言葉はもう死語なんだろうか。
昭和60年、私が社会人一年生の時の話。
ゼネコンの大阪支店管轄の京都営業所に配属された。
技術の会社で事務屋での配属だった。
大らかな時代であった。
事務屋の新入社員はもう何年も無かったということで私の仕事もとりあえず無かった。
ずいぶんお世話になった営業所の大所長にある日「ワードプロセッサというのを買ってきてくれ。」と言われて社用車に乗って河原町四条の家電量販店まで行った。
途中、所長の性格をよく知る運転手さんに「宮島君、どんな仕事も心してかかれよ。」と言われた。
その時、その運転手さんは全てを見通していた。
家電屋でワープロと生まれて初めての対面だった。
店員さんに聞いて、その当時の最新型のポータブル型の画面に文字が一行しか出ないヤツを買って帰った。
20万円預かって、10万円以上の買い物だった。
持ち帰ると所長は便箋に手書きで10枚ほどの書類を用意していて、なんと「明日の朝までに清書しておいてくれ。」と言う。
所長の性格をよく知る運転手さんはこれを予想していたのだろう。
それが京都営業所配属後、1週間目の仕事だった。
当時は会社にワープロも、もちろんパソコンなども無い時代であった。
大阪支店にタイピストが一人いて公式書類はタイプ打ちが主流の時代だった。
そしてそのタイプはいつも順番待ちで今日言って今日の仕事にはならないということであった。
そして気の短い所長は普及し始めたワープロに目を付けたのだ。
生まれて初めてのワープロを前にして説明書を開き電源を入れたのが遅い午後になっていた。
終業の時刻となり、一人、二人と席を立つ。
最後に事務課長が「宮島君頑張れよ。」と言葉を残して帰っていった。
そんな時代であった。
私もなんとかなるだろうと思い、朝までかかって仕上げた。
そのあとしばらくはワープロが私の仕事となった。
そしてすぐに大型のワープロが営業所にも来た。
そして、タイピストの女性はいなくなった。
大らかな時代ではあったが時代の流れは加速し始めていた。
パソコンが各人の机に置かれるのはまだ先の事であるが、そんなに時間はかからなかった。
あの気位の高かったタイピストの女性があのあとどこへ行ってしまったのか今でも気になる。