秋の訪れ
何もしていなくとも時間は過ぎる。
何かをしていても時間は過ぎる。
暑い毎日が続いているが、夕方久宝寺駅で電車待ちをしているとホームに吹き込む風はいつもの熱風とは違っていた。
やはり時間は過ぎていたのである。
今年も秋の訪れを肌で感ずることが出来た。
めくるめく四季に育まれた日本の風土が好きである。
季節の訪れを感ずる肌の感覚が好きだ。
昨年の今頃の俳句投稿サイトへの文章。
子どもの頃から四季の移ろいに敏感だったような気がする。
それも肌で感じる四季だったような気がしている。
と思いきや、にわかに夕立の訪れを告げるように真っ黒な雲がやって来た。
秋風ではなく雨風だったのであろうか。
兼題《鰯雲》
またこの時期がやって来るのだ。
初めて経験、意識したのは中学三年の時だったと思う。
だるく退屈な夏休みは終わりに近づいていた。
今より朝夕は涼しく、季節にメリハリがあった。
『暑さ寒さも彼岸まで』がまだ死語となる前のことであった。
夕刻に近い午後、自宅より豊橋駅前にある精文館書店に向かって自転車を走らせていた。
一級河川豊川沿いの旧国道1号線、昔の東海道を30分程の道程だ。
その日のその瞬間を私の肌は覚えているのである。
力一杯ペダルを漕ぎ吹き出す汗を、肌にまとわりついていた夏の空気を、一瞬で剥がされたようであった。
そこから空気の層が変わっていたようだった。
秋に飛び込んだって感じだった。
何か新しいことが始まるような予感がしてあたりを見回し、空を見上げれば真っ赤な夕陽に染められた鰯雲が美しかった。
それから毎年この時期、肌で感じる秋の訪れを待ち侘びている。