文化の日
子どもの頃から『文化の日』は好きであった。
子ども心にも響きが良かった。
昭和40年代、当時住んでいた鉄筋コンクリート造の社宅は文化的だったのだろう。
風呂こそ共同ではあったがトイレ付きの2DKの間取りだったように記憶する。
2DKは正方形に近かったんだと思う。
階段を挟んで左右対称に振り分けられ4階までもちろんエレベーターは無い。
階段を挟んで8戸が縦に並びそれが3列で24戸で1棟のアパートだった。
それが2棟、向かい合わせて建っていた。
その間の中央に子どもの遊べる砂場があり道路から敷地へ入ってすぐに大きな松の木が2本植えられていた。
一番奥には共同風呂があり、時々子ども達だけで入ることもあり、自分の父親以外の大人の男との裸の付き合いもあった。
今とは何かが違う時代だった。
知らないこと、不思議に思うことがたくさんあった。
子どもの知恵で考えた。
図書館などに行く習慣はまだ無かった。
考えた末、そして子ども達で話し合ったりもした。
最後には大人に聞くことで答えにたどり着いたこともあっただろう。
今のようにパソコンやスマホがあるわけではない。
気になったその時にすぐに調べて液晶に現れた文字や写真を真実と思い込んでしまうような短絡的な事はしなかったし出来なかった。
その過程が大事だったと思う。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」のが文化の日、とある。
自由過ぎる自由がある。
生暖かい平和がある。
文化の日が制定された戦後の頃とはずいぶん世の中は変わってしまっている。
文化の意味もずいぶん変わってきているのではないだろうか。
『文化の日』なんて日は見直してもいいのではないだろうか。
『天長節』としておいた方が、その目的がよく分かっていいような気がする。
そんなことを考えながら文化包丁を使いこの冬初めての粕汁を作り晩メシを済ませた。