スタンディングみや(でした。)

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マンションで思うつれづれ

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集合住宅、いわゆるマンションやアパートで今までの人生の三分の一ほどを過ごしたかも知れない。

現在は戸建てである。

集合住宅は鍵一本で戸締りが終わることがこの上なく便利である。

この事が集合住宅の一番の利便だと思っている。

それに対して一戸建ての戸締りは気にしだしたらキリが無い。

 

これまでの経験でどちらかを選べと言われたら『戸建て』に軍配をあげると思う。

集合住宅での周りの住人の当たり外れにはずいぶん悩まされた事がある。

どんなに環境が良く、それなりの収入のある人間しか入居しないマンション、しかもマンションにどんなに厳しい管理規約があってもお構いなく我が道を進む事ができる人間がいる。

そんな住人の階下で生活して困惑の日々を送ったことがある。

なかなか事前に調べ切れるものではないから、くじ引きのようなものだ。

 

その点、戸建ては気楽だ。

多少のことは目をつぶれる。

壁一枚、床や天井の向こうで生活の空間が無いのがいい。

理想は山中の一軒家である。

寒くなると思い出すのが開高健が冬山の小屋で一冬を過ごしたエッセイである。

食料と酒と本、釣り道具を持ち込んでの独りきりの越冬である。

インターネットなど無い、原稿用紙にペンを走らせる事はあろう。 

酒を飲み食べ、読み考え、早春の清流を夢見て釣り道具の手入れをする。

そこには人との会話は一切無い。

いつかそんな生活をしてみたいと思う。

 

写真のマンションを見ていて、以前マンションの断面図越しに各戸の生活を描いた絵があったのを思い出した。

同じ区画割りのマンションである。

同じ空間なのにそこには全く違う生活がある。

違う人間が住んでいるのだから当たり前のことであるが面白い絵であった。

子どもの頃いた社宅でそんな経験をしたことがある。

2DKの同じ部屋ばかりである。

しかし、友達の部屋に行くと匂いが違い温度も違う全く違う部屋であった。

住む人が違い、生活が違うのだから当たり前であるが不思議に思って帰った。

 

変わるのは住む場所ばかりではないだろう。

本人次第で何事も変えることはできる。

その気にさへなれば変える事はできる。

 

写真のマンションにもいろんな人が住んでいて、毎日いろんなことがあるであろう。

壁の向こうの事はわからない。

人の心がわからないのと同じである。