スタンディングみや(でした。)

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頂いた湯呑み

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熱いお茶が嬉しい季節となって来た。

大学を卒業してから40年近く持ち歩いている湯呑みである。

生前、合気道の恩師市橋紀彦先生から頂いたものである。

本部道場での稽古の帰りに時々先生のご自宅に寄せていただいた。

本部道場から遠くない明治通りに出る手前の都営住宅に住まわれ、質素な生活をされていた。

奥様もお仕事をされているのでいつも伺うお昼前は誰もいない。

きれいに掃除も整頓もされた居間に通されて、先生が湯がいてくれたうどんをよくご馳走になった。

同期の佐藤、幸本と、時には青山学院大の冨田君、明治大同志会の濱田君とご馳走になった。

食べ盛りの私たちに腹一杯のうどんをご馳走してくれた。

 

この湯呑みは何かの折、一人で伺って頂いたのかも知れない。

その経緯の記憶はもう定かではない。

よく叱られたが、これから社会人になる私たちのためを考えてくれていた。

お宅では優しくいろんな話しをしてくれた。

話好きな先生であった。

この湯呑みで私はいつもコーヒーを飲んできた。

肉厚の寿司屋の湯呑みのようで、冬の夜長を本とともに過ごすのにちょうど良い。

いつまでも大切にそばに置いておきたい湯呑みである。

 

なかなか機会は無いが他人のお宅の食器棚見るのは興味深いものである。

食器棚を見たらその人が分かるとどこかで読んだように思う。

まさしく本棚と同じだと思う。

いただいたこの湯呑みを見ながらそんなことを考えていた。

 

家内の趣味は食器である。

コーヒー、紅茶をいただく、食事する、その時の食器で心が豊かにもなれる。

いい趣味だと思う。

 

同じような事を誰もが思うようで私の本棚の料理本コーナーには『あの人の食器棚』という写真付きエッセイがある。

就寝前に時々持ち出す一冊である。

それを眺め、数十秒でいつも眠りに落ち入っている。

 

家内はその多くはネットオークションなどで破格な値段で手に入れているから大したものである。

毎回テーマを持って居間の食器棚に並べられるカップが入れ替わる。

その都度私の目を楽しませ、心を和ませてくれる。

 

そしてまだ見ぬティーカップやマグカップが居間の引き出しや二階の衣装ケースに隠されていることを私は知っている。

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