考えても調べても分からない事
恐ろしいような朝焼けだった。
今朝の朝焼けである。
いつかどこかで見たような気がする。
ひょっとしたら私のDNAが憶えている太古の記憶かも知れない。
もしかしたら母の胎内にいた頃見えない目で見ていた母の血液かも知れない。
瞬間にいろんな事を考えながらしばらく足が止まっていた。
最近立ち止まり考える事が少なくなっているのではないだろうか。
それより考える事自体が少なくなっているような気がする。
だとしたらパソコンの悪い効用かも知れない。
web上にある文言は、なぜか正しいように見える。
考える事をさらに進める事に歯止めをかける。
辞書を引いたり、web以外で調べ物をすることが減っているのではないだろうか。
息子世代を見ていて特にそう思う。
真理の追究は専門家に任せるとして、ちょっとした事は以前はどうやって調べていただろうか。
家にある辞書や百科事典を引っ張り出したり、図書館に行ったり、知っていそうな人間に聞いたりしたと思う。
そして考えたと思う。
それが今はweb上で正解を出して済ましてしまう。
疑う気持ちや歳の離れた人間との話し方なんかもそんな時に学んだような気がする。
そして、考えても調べてもわからない事があった。
今は無いのかも知れない。
考えてもわからない事や調べても分からない事を一つや二つ抱えながらもストレスと感じ生きていける耐性ってのも必要な気がする。
些細な事で気に病み、動けなくなってしまう最近の人たちに備えてもらいたい力である。