兼題『冬眠』
暖冬を喜ぶ人は少ないと思う。
困るのはスキー場や第一次産業、農漁業、林業ばかりでなく、季節の物が売れないということは全産業に影響がある。
喜んでいるのは通勤が楽だと言っている呑気なサラリーマンくらいであろう。
自然界の動植物たちはどうなのであろう。
例年のようにゆっくり体を休めているのだろうか、ストレス無く静かな穴蔵で寝ているのであろか。
『冬眠』て言葉が死後になる日が来ないことを心から祈る。
俳句投稿サイトの発表が今週です。
兼題は『冬眠』でした。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
東京オリンピックがいよいよ開催される。
子どもの頃からテレビの前でオリンピックをみて思うのは、どの競技も順位やタイムが関係無ければやってやれそうだということだ。
でもその中で体操競技だけは出来そうにない。
床運動にしても器械体操にしてもどんなに頑張っても出来そうにない。
いつもそう思ってテレビにかじり付いていた。
出来そうで出来ないこと、いろいろあるように思うが案外見つからないものである。
でも、『冬眠』はその一つに数え上げることが出来そうな気がする。
これならば絶対出来る、出来る自信がある。
地球温暖化で日本は亜熱帯に近づいているんだから、そんな法案が国会で出てきてもおかしくないと最近の暑い夏を迎えるたびに思っている。
でも寝ることに関してで言ったら冬眠はやってみたい気はするが、絶対出来ないと思うし、したくない。
温かな安らかな冬眠を終え大きなあくびとともに目を覚ますと周りには誰もおらず、地球は最後の日を迎えていたなんてSF映画のようなことがありそうで私は心配である。
ホラー映画よりも私はSF映画の方が怖いのである。
貞子やジェイソンとならば戦えそうな気もするが、私一人の力で抗うことの出来ない自然現象とか地球の最後に立ち向かいたくはない。
いつの日か長い氷河期がやって来て、地球人全員が冬眠してその終わりを寝ながら待つように義務付けられても私は一人洞窟にでも逃げ込み自然な老いとともに生涯を終えたい。
長い眠りののちの目覚めは怖い。
寝ている間ずっと恐ろしい夢を見ていそうで怖い。
思い起こせばサラリーマン時代、大阪でしこたま飲んで自宅に向かい、京都行の東海道線に大阪駅から乗ったのに気が付いたら大阪駅。
再び京都行に乗ったがまた大阪駅に戻っていたことがあった。
疲れていたとはいえ、あれも恐ろしい体験であった。
仕方なくベンチで朝を迎えたが、次の日の夜に自宅に帰っての家内の顔がまた恐ろしかった。
まだ携帯電話さえ個人で持てない時代だった。 なんと言い訳しても家内に日本語は通じなかった。
二度と経験したくない恐ろしい体験であった。
『冬眠』というたった二文字からこんなことまで思い出させる季語は単なる『記憶再生装置』どころではないと最近思っている。/宮島ひでき
写真は本文章とまったく関係ありません。