冬の嵐
悪天候の中、故郷愛知へ帰った。
年齢のせいか自動車の運転は疲れが残り、最近はほぼ新幹線を利用している。
母がアルツハイマーを発症して、父も体調を崩し実家がガラガラと音を立てて崩れ始めて15年ほど、どれくらい新幹線に乗っただろうか。
よかったのは新大阪・豊橋間のひかりとこだまは驚くほど空いていて座席の確保に悩む必要が無かったくらいである。
新大阪始発ののぞみはスーツ姿のビジネスマンばかりで仕事のための乗り物といった感が強いが、新幹線は家族のレジャーで使う移動手段という楽しいイメージを私は持っている。
が、しかし、である。私には全くそんな楽しい思い出は無かった。
親の介護に向かう道中や疲れ果てて帰るその車中が楽しいはずがない。
その頃はまだ『やらねばならぬ』という気持ちが強かった。
生来の生真面目な性格から100%やらなければ気が済まなかった。
しかし、どうも人間は自身の能力を超えて、かつ逃げるわけにはいかない状況に閉じ込められると性格まで変えることが出来るようである。
家族の介護に関しては100%なんて絶対必要がない、とりあえずやってればよし。
人間はいずれ誰でも必ず死ぬものだと思えるようになった。
両親、兄も100%なんて望んでないことにも気付いた。
0%ではよくないということにも気が付いた。
ここまで辿り着くのには時間がかかった。
この時間を無駄な時間とは思いたくない。
でも私の今日のこの文章を目にして何かを感じてくれる人がいればよかったな、と思える。
すべての人間が家族の介護をするわけではない。
だから、貧乏クジを引いたとは思わないで欲しい。
親や兄弟たちはあなたが泣きたくなるような苦労をして欲しいとは決して思わない。
0%だったら悲しみ寂しがりますよ。
だからといって100%なんて絶対必要ありません。
離れた両親の介護をするならば、行きは好きな本でも読みながら自分の世界にこもったらいいと思う。
ご両親を目の前にしたら、その時は現実である。
先を見通し、考えていかに公の力を使って乗り越えていかに自分が楽をすることが出来るか考えなければならない。
ご両親、ご家族は腹を立てることはありませんよ。
だって最後までそばにいてくれるのはあなただけなのですから。
強い雨風もなんのその、新幹線の快適な車内で缶チューハイを飲みながらスマホを片手の私を天国にいるかも知れない父は微笑みながら見ていてくれていると思うのである。
冬の嵐の中、田原の菜の花の黄色はもう春だった。