兼題『麦踏』
急にコロナで世間が騒がしくなってきました。
地続きの大陸と違い、海のおかげで安穏と生きてくることの出来た日本ではこんな事への対応が慣れてないからしばらく大変でしょう。
そんな中、俳句投稿サイトのいつもの発表でした。
今回の兼題は『麦踏』
こんな時こそ浮世から離れた方が冷静に世間を見ることができるかも知れませんよ。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
・脳内吟行を余儀なくされた兼題であった。
私の記憶の引き出しから出てきたのは宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』に出てくる風の谷であった。
風が吹き渡り麦の穂は揺れている。
その間の道を一日の仕事を終え、家族の待つ自宅へ帰り急ぐ農夫が歩いている。
もうすぐ陽はもっと傾き、刈り取りが近づいた麦は金色に輝き始める。
そんなイメージが私の麦畑のイメージである。
麦のイメージはそこでおしまいである。
青い麦の子供をガシガシと踏みつける、そんな風景は想像し難い。優しい雰囲気を持つミレーの落穂拾いが頭に浮かんでしまう。
日本の食糧自給率の問題で小麦が10%と言っていたことも思い出した。
もともとの日本の生産量がどれくらいだったのか知らない。食生活が変わったことも大きな原因であるのだろう。
しかし、これが単純に麦の作付け面積が減ることによっての減少であるならば問題である。
『麦踏』が出来なくなってしまう。
一部の富裕層の娯楽になってしまうことはなかろうか。
選ばれし者の遊興となり、いずれは日本から消え去って死語なってしまわないだろうか。
一度も踏むことの無いまま死語となるのは少し悔しい。
続けて夏井先生の『絶滅寸前季語辞典』を思い出す。
あれは面白かった。まだ読んでない人は、ぜひ買って読んでください。
と頼まれないのに宣伝をしている私の頭の中は『季語』と『死語』で一杯になってきた。
『麦踏』から『死語』へ頭の中はくるくる回る。
気候変動やAI化などでどんな言葉でも死語となる可能性は持ち合わせているのかも知れない。
しかし、四季のある山紫水明の日本で生活し、日本語を使う者ならば歳時記を開いて目に飛び込む季語で懐かしさや自分の体温が上がるような思いをして欲しい。
そんな人たちがいる限り『麦踏』も死語となる日は来ないであろう。
/宮島ひでき
ふくら雀の根付です。