スタンディングみや(でした。)

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生きることを考える

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ずっと考えていた。

そしてたいした答えは出てこなかった。

『寝たきり親父』あらため『ネズミ男』の大学の先輩が最近いつ死ぬか分からないと時々iPadで送ってくる。

 

幸いなことに私には死にそうになった経験も無ければ死にたい思ったことも無い。

 

先輩の状況を考えると言ってる事はまんざら分からないこともない。

先輩に前向きに生きてくださいなんて臭い事も言うつもりは無い。 

 

先輩は生きる事をやめたいと言っているのではない。

いつ自分の人間としての機能が停止するか分からないと言っているのだ。

 

なんと言ったらいいのか考えていた。

何も言えない。

 

死ぬまで誰もが生きる。

ただ死ぬ時期は普通は予測がつかない。

病気になろうともいつ死ぬかはそれほど正確には分からない。

だから怖くはないのだと思う。

でも先輩にはそれが予感するのであろう。

もっと怖がりの先輩だったように記憶するが開き直ったのか悟りを開いたのか、ヒョーヒョーとして送ってくる。

 

60年近く生きてきてずいぶん人の死に立ち会った、自ら命を絶った男も何人もいる。

 

『実はオレも死ぬ事が確定しているんです。』と言いたい。

でもそれがまだずいぶん先だと確信しているからそんなふうに考える事が出来るのだろう。

誰もが間違いなく死に向かって生きている。

でもいつかは分からない。

 

先輩は来るその日までたくさん俳句を作って投句したいと言っている。

 

明日死ぬかも知れないから今日精一杯生きるのではなく

私は明日も生きるかも知れないから今日も頑張っておこう、と考える事にする。

 

ネズミ男の先輩は学生時代は先輩にも同輩にも後輩にも迷惑をかけることのある勝手気ままな自由人であった。

今も寝たままの自由人である。

そして今死を意識してひたすら俳句を作り続けている。

 

後世に名を残すことの出来る俳人としての境遇はパーフェクトかも知れません。

だから先輩もう少し生きてくださいよ。

ここでもっといい句を詠まなければ俳人にはなれませんよ。

 

明日まだ生きるかも知れないから仕方ないですよ。

頑張ってください。