漠然と思うこと
覚悟はしているが、馴染みの店が無くなり当たり前の風景が変わっていくのは寂しい限りである。
人がいつかは死ぬように永遠に不滅なものは無いことは分かっているが、自身の身の回りでそんな事は起こって欲しくないし、自分の周りでは起こらないと誰もが心の底で思っているのではないだろうか。
この世にその形を残さず消えてしまうならばもっと気持ちの整理もつくのであろう。
そのまま残ってしまったものは亡骸以外の何ものでもない。
違うとお叱りを受けるかも知れないが、故郷をそのまま残して出て来なければならなかった福島の方々が苦しまれた悲しみに似ているのではないのだろうか。
ゆっくりゆっくり崩れていく日常に既に深刻なのは職を失い、先の見通しも立たない人たちだと思う。
用事で心斎橋商店街を抜けると、よく行ったチェーンの寿司屋がのれんを下ろして中に職人さんたちが集まり、出てきた一人が誰かに向かい「今日で終わりだ」と叫んでいた。
力のこもらない叫び声は悲痛であった。
こんなことが当たり前の日常になってしまうのだろうか。
出来ることなら終息のその日まで在宅ワークで引きこもっていたい。
人のことまで考えたり、力を貸す事はなかなかできないであろう。
でもいつかは平穏な日が戻る。
その日に後悔しないために今出来ることをやって、今から先のことをよく考えておきたい。
一人の力は小さいが合わせたら出来ないことはないだろから。