コロナと介護
本来であれば明日から二泊三日での兄の検査入院の付き添いであった。
それが完全なフリーの時間となった。
兄と母に申し訳ないがこの二ヶ月を愛知への移動無しの気楽な生活を送らせてもらっている。
義務というより当たり前のことと思い十数年以上大阪と愛知を往復していた。
西名阪、伊勢湾岸道の四季折々の風景は頭に刻み込まれ、新幹線の空いた車両、三列席の真ん中が一番幅広で豊橋までゆっくり過ごせることなどが頭に入り、全ては日常となっていた。
でも、その日常は間違いの日常であったと今思っている。
介護の難しさであるが、入り込み過ぎたら介護者は潰れてしまう。
だからプロに任せなければならないのだが、任せていても勘違いしてしまう時がある。
時々立ち止まって第三者の目で見詰める必要がある。
被介護者の母が健常で、私へアドバイスする立場にあるならば何と言うか考えなければならない。
そのためのよい機会となったと思っている。
このフリーとなった時間は自分の好きなように使う。
外にも出れない。
出る用事もない。
部屋にこもってパソコンに向かう。
本をながめる。
コーヒーを飲む。
メシを作り食べる。
なんだか退屈そうなそんな時間はこれから生きていくための私のエネルギーに変わっていくと思う。
コロナで大変な思いをしている人は多かろう。
しかし、なったものは仕方がない。
時間は戻らないから先のことだけ考えて前に進むことにする。
コロナで悪いことばかりでは悲しくなる。
こんなことで少しは良いこともあるとしよう。