兼題『春暖』
さて、いつもの俳句投稿サイトの発表の週です。
今回の兼題は『春暖』しゅんだんです。
春暖は、厳しい冬の後にやって来る優しい暖かさのことです。
この暖かさを私たちは必ずやって来ると知っているのに嬉しく感じるのはなぜでしょうか。
厳しければ厳しいほどやって来た暖かさを嬉しく感じることでしょう。
辛さや困難があればこそそれに打ち勝って享受出来るそのあとの充実感と同じでしょう。
今の耐乏生活を乗り切ったあとに待つ以前の当たり前の日常生活に、誰もが生きている実感を覚えることが出来るでしょう。
季節の移ろいの中、当たり前の暖かさを感じるのがこの『春暖』なのだろうと私は思いました。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
●今日のような陽気を春暖というのかと思いながらJRで揺られている。
もうすぐ一年になる通勤電車である。
三十年もの間、二日酔いでまだ動き出さない脳のまま朝早く満員電車に無理矢理乗り込み会社まで通っていた。
そんな生活から卒業したつもりでいた。
しかし、もう二度と乗ることのないと思っていた通勤電車にまた乗り込んでいる。
人生ってのはそんなもんだと思っている。
ただ今回は必ず座っての通勤である。
今まで人生の半分を経験してきた通勤との違いにはカルチャーショックに近いものがあった。
新たな発見をしながらの電車での通勤である。
座れることのなかった列車の座席につき、本を読み、モノを書いて考え事をする。
その気になれば寝ることも出来る。
背に陽の暖かさを感じての居眠りは至福の時間である。
何もないいつも変わらない時間がそこにある。
毎日戦場に向かうように殺気立って吊り革にぶら下がっていた時間はもう無い。
特段変わったこともない春の暖かさが私を包んでくれる。
何も無いことの幸せを春暖は教えてくれた。
何かがあったからこそ何も無い事が幸せだと春暖は私に教えてくれた。
/宮島ひでき