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兼題『空蝉』うつせみ

一週おきの俳句投稿サイトの発表の週です。

今回の兼題は『空蝉』でした。

現世を生きることを仮の姿とし、うつせみに投影してセンチメンタルな気持ちに浸る若い時期もありました。

還暦を来年に控えてそろそろ地に足をつけて歩き始めています。

でも夢はいつまでも捨てたくないですね。

本題の俳句は今回は『並』、私には『人』と『並』の境界線がわかりません。

以下はお便りコーナーに取り上げられた文章です。

 

 

兼題『空蝉』

この歳になりセミの抜け殻を手に取ることもなくなった。 しかし、目に入れば記憶は一足飛びに子どもの頃に戻る。 夏休み、陽射しの一番強い午後に豊川工業高校へ毎日捕虫網を持って通った。 幹の太い桜の並木が重たいほどの濃緑の葉をまとい私たちを待っていた。 低学年の私には育ち過ぎた桜たちにとまり鳴くセミにはどんなに背伸びをしようとも網を近づけることは出来なかった。 同じ社宅の歳上の柴田君のあとを追いながら顔を上げたままセミを探し続けるがそのうち疲れ果ててしまい、自分の普段の目線に戻す。 そこで見つけるのはセミ達の抜け殻だった。 そしてそのまま地面に視線を移動させると彼らが這い出してきた地中につながる穴がある。 その地中に長くいるセミの幼虫のことを考えた。 地上に出ることが出来た喜びを鳴いて表現するのかと最初は思った。 でも、夏の終わりまで毎日セミの抜け殻を見ていると考えは変わってきた。 安楽の地であった地中にずっと居たかったに違いない。 抜け殻の半透明な飴色は木洩れ陽を受けて悲しく見えた。 無理矢理この地上に追いやられ悲しくて泣き続けるのだ、そうに違いないと思い至ると一人でセミ採りには行けなくなった。 そして時折夜鳴くセミの声を耳にして、私は一人布団の中で泣いた。

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