アジサイの花
今日の乾いた晴れの日は梅雨に入ったばかりだが、中休みと言うのだろうか。
暑いが頬にあたる乾いた風が心地よい。
この時期、どこにでも目にするアジサイの花。
実は、アジサイの花が好きではない。
きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。
散るのが当たり前なのはどんな花でも同じだが、このアジサイが一番後味の悪い花のような気がする。
ほんの少し前に咲いた桜とあまりに違う往生際の悪さである。
今年の桜はいつものように目にすることは無かった。
コロナのために寂しく散っていったのだろうか?
私は本来桜はそんなふうに人知れず咲くのが似合っているような気がする。
人に見られていてもそうでなくていつもの通りに咲き、いつもの通りに散っていく。
よく桜の花を形容する『凛々しさ』にはそんな孤高な気高さも含まれているのではないだろうか。
そんな在り方を誰もが無意識に求めているから桜に人気があるのではないだろうか。
武士が投票したらナンバー1の桜とワースト1のアジサイ。
桜は見上げて胸を張って歩く、背の低いアジサイはうつむき加減で歩きながら見る。
不思議だが、投票の集まらない要素ばかりを持ち合わせてしまっている。
しばらくは仕方ない、瞬間の美しさで梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれるアジサイを眺めよう。
そして色が変わり枯れて朽ち果てるまで毎日この目に焼き付けてやろう。