傘を無くして考える
年齢とともに忘れっぽくなっているが忘れ物は少ない方だと思う。
しかし、ビニール傘はよく無くしてしまう。
どこに置いてきたのか覚えてないから無くしているのだ。
これがビニール傘の宿命だろうか。
私の潜在意識の中にビニール傘は消耗品だとあるのだろう。
あらためて考えればどの傘も消耗品なんだが数百円と気楽さがある。
数百円の中にも使い勝手があり、いつも持ち出すビニール傘は決まっている。
それの所在が不明になると少し外出に不安を覚える。
日本の経済を回すためにも潮時だったんだと思うようにしている。
ビニール傘には自転車に乗るからという理由もある。
ビニール傘のためではないが自転車に乗らなくてもいい環境作りを今考えている。
ついでに自動車にも。
雨の中、傘をさして歩くのは子どもの頃から好きであった。
ある時期からは下駄を履いて。
しばらく使ってない昭和時代の黒い傘をそろそろ出そうかと思っている。
下駄も引っ張り出して、雨の日の散歩を楽しんでみようかと思う。
違う視線でいつも見ているものを見てまたいろんなことを考えようかと思う。