チャーハンと焼き飯
チャーハンをよく作る。
学生時代にアルバイトをした中国料理店ではいつもプロの手捌きを横目で見ていた。
料理はだいたいそんなふうに覚えるか、自分で考えてきた。
私的にチャーハンには玉子、刻んだ焼豚かハム、ネギが必須である。
あとは塩、胡椒である。
時々子どもの頃に母が作ってくれた
焼き飯が食べてみたくなる。
チャーハンではなく、焼き飯であった。
二つの明確な定義を知らないが、人から聞いた話では玉子を先に焼いて炒め合わせるか、炒めているご飯に生の玉子を合わせ炒めるかの違いだそうである。
母の作る焼き飯は和風だった。
かつお節の入った醤油味だった。
ひょっとしたら『サバ節』だったかもしれない。
具材は基本的には冷蔵庫で消費期限の迫った残り物が入っていたような気がする。
玉子は時には入ってなかったような気も。
食の好みは徐々に変わりなるべく脂っこくないモノがよくなって来た。
かと言って、毎日ソーメンでは寂しい。
今の私の舌に丁度良さそうな母の作った焼き飯を試みるが何が違うのかわからないが、なかなか到達しない。
醤油を焦がしたり、焦がさなかったり、まんべん無く混ぜ合わせたり、そうでなかったりと。
こんなことが料理なんだと思っている。
考え、試し、作る。
いつかは理想の味に、思い出の味に到達する日が来るかもしれない。
簡単そうなチャーハンと焼き飯であるが、実はそれほど簡単ではない。
簡単そうに見える料理の方が案外奥が深かったりするのは料理以外の何でも同じかもしれない。
合気道の技も同じかもしれない。
同じ技を繰り返し繰り返し行い、その度に拙い考えを加えていく。
到達するところは無い。
と、すると料理にも到達する味なんてのは無いのかもしれない。
料理も日々精進なのかもしれない。
そんなふうに考えることの出来る料理は私には楽しい作業である。