夏の味覚
年齢とともに味覚は変わる。
子どもの頃、実は甘い物はそれほど好きではなかった。
思い起こすとあの頃は今ほど子どものオヤツもバラエティに富んではいなかった。
そんななか、中元で届いたフルーツ缶詰めを母がよく出してくれた。
豊橋に隣接する『三ヶ日みかん』、父の実家の『長野のりんご』、母の故郷の『山形のぶどう、さくらんぼ』を食べていたから缶詰めのフルーツが果物と思えなかった。
今考えてみると、同じ物だと思うからの結果だったのだ。
この歳になって食べるフルーツミックスは家内の作った甘くない寒天と合わさったフルーツ缶の丁度良くなった甘さが冷たさとともに喉をくぐり落ちて行く。
なんと言うんだろうか、『生きている』を感じる瞬間である。
子どもの頃は出来れば避けたかったフルーツ缶を嬉しく思う。
プリンやゼリーの洋菓子や羊羹やくず饅頭の和菓子も捨てがたいが、こんなフルーツ缶が今でもスーパーの棚に陣取っている理由がわかるような気がする。
これもまた無くなって欲しくない『古き良きもの』にグルーピングされるのだろうか。
まだ、日本の一般家庭にクーラーなど無く、『甘い物処』の暖簾をくぐって入った甘味屋さんで食べたかき氷が懐かしい。
母はあんみつを食べていたが、さぞ美味しかったんだろうと、食べてみればよかったと今後悔している。