オカラを考える
久しぶりにオカラを買った。
スーパーに並ぶオカラには人気がない。
豆腐は数社のメーカーが商品を陳列させるものの、オカラはそうではない。
大きなスーパーでも取り扱いは一社くらいしかない。
産業廃棄物として取り扱われるオカラはパッケージングして商品として出品するのに案外私たちの知らない面倒な手間があるのかも知れない。
それでいて不人気な商品ならばどのメーカーも手を出したくはないだろう。
以前ここに書いたが、廃棄物として保管しているオカラの腐敗臭の処理の相談を受けた事がある。
なんだか間違っている。
豆腐屋の社長もそう言っていた。
皆が食べてくれればなんの問題も起きないのだが、と。
豆腐、豆乳はそのままでも食べることが出来る。
しかし、オカラはそんなわけにはいかない。
加工の手間が必要である。
それで人気が無いのだろうか。
惣菜コーナーに並ぶオカラにもそれほど手が伸びないのはどうしてだろうか。
案外みんな惣菜としてのオカラにはいろんな思いがあるのではないだろうか。
私は甘すぎたり、汁気が多すぎるのは嫌である。
適当な甘さと適当な湿潤がいい。
それが母の味付けだったのかも知れない。
スーパーの惣菜コーナーや惣菜屋に並ぶ洋風、中華の惣菜の味にはだいたいの想像がつく。
しかしこの炊いたオカラの味付けや舌触りは見た目だけでは想像出来ない。
後悔するならば買わない選択肢に進んでしまう。
考え過ぎかも知れない。
好きなものを健康を考え食べるのが一番である。
とりあえず月に二回はオカラを使って料理しようと思う。
気をてらうモノではなく、昔ながらに炊こうと思う。
食卓になにか一品、昔ながらの家庭料理が並ぶような夕餉が一日の疲れを癒してくれるように思う。